それは、何の予兆もない日曜日の朝のことでした。居間で新聞を読んでいた50代の父が突然「うっ」と声を漏らして倒れ込み、そのまま意識を失いました。診断名はくも膜下出血。3週間に及ぶICUでの生死を彷徨う日々の末、父は奇跡的に一命を取り留めましたが、退院して自宅に戻ってきた父は、私の知っている昔の父とはまるで別人のようになっていました。身体的な麻痺はほとんど残りませんでしたが、高次脳機能障害という、より複雑な後遺症が私たちの家族に重くのしかかってきました。かつては穏やかで論理的だった父が、些細なことで激昂し、母に向かって心無い言葉を投げつけるようになりました。あるいは、10分前に話した内容を完全に忘れてしまい、同じ質問を何度も繰り返すのです。一番辛かったのは、父自身が自分の変化に気づいておらず、なぜ家族が困惑しているのかを理解できない様子でした。私たちは、専門のカウンセラーやリハビリテーション病院の医師と何度も対話を重ね、これが父の性格が変わったのではなく、脳の病気が引き起こしている症状なのだと理解するまでに1年の歳月を要しました。家族としての最初のステップは、父の不自由さを隠すのをやめ、障害を受け入れることでした。メモ帳を家中の至る所に配置し、1日のスケジュールを視覚化することで、父の不安を取り除く工夫を始めました。また、感情の起爆剤になりそうな話題を避けるためのコミュニケーション術を家族全員で学びました。リハビリは病院の中だけで終わるものではなく、毎日の生活そのものが父の脳を再構築するためのプロセスでした。近所の散歩コースを毎日一緒に歩き、道端に咲く花の名前を当てるゲームを繰り返すうちに、父の表情に少しずつ穏やかさが戻ってきました。発症から3年が経過した現在、父はかつてのようにバリバリ働くことはできませんが、近所のシルバー人材センターで簡単な清掃の仕事を引き受けるまでになりました。以前の父に戻ることを期待するのではなく、新しい父との関係を築き直すという意識改革が、私たち家族を救ってくれました。くも膜下出血という嵐が去った後の荒野に、少しずつ新しい芽が吹き始めている。今の父の穏やかな笑顔を見ていると、後遺症と共に生きる人生もまた、1つの尊い形なのだと確信しています。