私は広島で被爆した祖母の背中を見て育ちました。祖母は現在、90歳を超えて施設で過ごしていますが、その身体には今もあの日の記憶が刻まれています。原爆後遺症という言葉を、私は物心ついた時から家庭内の日常的な用語として聞いてきました。祖母は、一見すると元気に暮らしてきましたが、季節の変わり目や疲れが溜まった時には、必ずと言っていいほど「あの日浴びた毒が動いている気がする」と漏らしていました。これが、被爆した人々が現在も抱え続けている、医学的な数値では測りきれない不安の正体です。祖母の場合、幸いにも重い白血病や癌には見舞われませんでしたが、50代の頃に患った重度の甲状腺機能低下症は、医師から「当時の放射線の影響を否定できない」と言われました。それ以来、彼女は毎日欠かさず薬を服用し続けています。原爆後遺症は、一度治って終わりというものではなく、体質そのものを書き換えてしまうような、底知れぬ恐ろしさを持っています。現在、被爆二世である私の母や、三世にあたる私自身の世代でも、健康への不安は完全には消え去っていません。遺伝的な影響については現在の科学では明確な証拠がないとされていますが、家族の中で突然癌が見つかったり、原因不明の体調不良が続いたりするたびに、私たちはどうしてもあの原子雲の下で祖母が浴びた光を思い出してしまいます。これは「後遺症」という概念が、個人の肉体を越えて、家族の物語の中にまで浸透していることを意味します。現在、被爆者の多くが高齢化し、直接体験を語れる人が少なくなっていますが、病院の待合室で被爆者健康手帳を大事そうに持つ高齢者たちの姿を見るたびに、戦争の傷跡が今もなおリアルタイムで進行していることを痛感します。彼らにとっての原爆後遺症は、過去の歴史ではなく、毎朝起きる時の身体の重さであり、夜寝る前に感じる微かな動悸そのものなのです。社会は「もう昔のことだ」と片付けがちですが、被爆者の身体の中で起きている微細な炎症や細胞の変異は、今日という日を生きる現実の苦しみです。祖母の手を握ると、その温もりの中に、放射線という見えない敵と戦い抜いてきた強靭な生命力を感じます。私たちが現在できることは、後遺症に苦しむ人々の声を「古い話」として聞き流すのではなく、現代に続く未解決の課題として受け止め、その健康と尊厳を最後まで守り抜くことではないでしょうか。核の惨禍が残した真の後遺症とは、身体に刻まれた傷以上に、終わりのない健康への恐怖が世代を越えて連鎖していくという、この精神的な呪縛にあるのかもしれません。
被爆から80年近くを経ても消えない原爆後遺症の不安