1年前の夏、私は突然の激痛と高熱に襲われ、気づいたときには病院のベッドの上で細菌性髄膜炎という診断を受けていました。数週間にわたる集中治療を経て命は助かりましたが、退院した私を待っていたのは以前の自分とは明らかに異なる身体の感覚でした。まず私を苦しめたのは、右耳の聴力がほとんど失われていたことです。医師からは内耳の神経が炎症によって損傷したと説明されましたが、大人の社会生活において片方の耳が聞こえないという不便さは想像以上のものでした。人混みの中では音の方向がわからず、会議では発言を聞き取るために必死に神経を研ぎ澄まさなければなりません。さらに、見た目には全くわからない高次脳機能障害という壁にもぶつかりました。仕事に戻っても以前は数分で終わっていた事務作業に数時間もかかり、一つのことに集中しようとすると頭の中に霧がかかったような感覚に陥るのです。これを周囲に説明しようとしても、元気そうに見えるねという言葉に遮られ、私は次第に孤立感を深めていきました。しかし、このままではいけないと思い、私は自分の後遺症を隠すのをやめることにしました。職場の上司には診断書を提出し、聴覚を補うための座席の配置や、作業時間を細かく区切って休憩を挟むといった配慮を依頼しました。家族にも、疲れがたまると感情が不安定になることを正直に伝え、サポートをお願いしました。リハビリテーションの一環として始めた日記は、記憶力の低下を補うだけでなく、自分の心の変化を客観視する良い手段となりました。最近では、補聴器の使用によって騒がしい場所でも少しずつ会話が楽しめるようになり、仕事のペースも自分のキャパシティに合わせて調整できるようになっています。髄膜炎という病気は私の人生を大きく変えましたが、後遺症とともに生きる中で、これまで当たり前だと思っていた健康の有り難さや、周囲の優しさに気づくことができました。失った機能を数えて嘆くのではなく、今ある機能をどう活かして新しい生活を築いていくかという前向きな思考に切り替えるまでには時間がかかりましたが、今の自分を受け入れることで、ようやく本当の意味での再出発ができたと感じています。