30歳になった今でも、私はカフェで背後に誰かが座るだけで、肩が強張り呼吸が浅くなる。中学3年間のいじめという経験は、私の人生から安心という感覚を完全に奪い去り、卒業アルバムを燃やしたとしても消えることはなく、私の皮膚の下に深く潜り込み、対人恐怖という形を変えた怪物として今も私を支配している。社会に出てからも、私は同僚の顔色を伺い、嫌われないように細心の注意を払って生きているが、どれだけ努力しても自分はここにいてはいけない人間だという感覚が拭えることはない。対人恐怖の最も残酷な点は、かつての加害者がいない場所であっても、自分自身が加害者の役割を引き継いで自分を責め続けることであり、誰かと目が合えば自分の顔が変だからだと思い込み、会話が途切れば自分がつまらない人間だから嫌われたと確信する。いじめの後遺症は、私の思考回路をネガティブな方向へと完全に固定してしまい、コンビニのレジで店員と接するだけでさえ、裏で何か笑われているのではないかと疑ってしまう。このような日々は精神を極限まで摩耗させ、休日は誰とも会わずにカーテンを閉め切った部屋で過ごすのが、唯一の安全な避難場所となっていた。それでも、私はこのまま人生を終わらせたくはないと、心のどこかで願っており、最近ようやく重い腰を上げ、トラウマを専門とするカウンセリングに通い始めた。カウンセラーは私の支離滅裂な恐怖体験を、一度も否定することなく聴いてくれた。それは、人生で初めて自分の苦しみが公的に認められた瞬間であり、すぐに対人恐怖が消えるわけではないし、明日から誰とでも笑顔で話せるようにはならないが、自分の中にいる傷ついた子供の声を聴き、その子が今の私を守ろうとして恐怖を鳴らしているのだと理解したとき、少しだけ肩の力が抜けた気がした。1人で抱え込んでいた時期は、自分の性格が悪いからだ、自分が弱いからだ、と毎日自分を鞭打っていたが、カウンセリングを通じて、これは脳が受けたダメージの結果なのだと教えられた。中学時代のあの教室は、私にとって戦場そのものであり、そこで生き延びるために身につけた対人センサーが、平和な日常でも作動し続けているのだ。このセンサーの感度を少しずつ調整していくことが、私のこれからの目標である。具体的には、1日1回だけ、知らない人に軽く会釈をすることから始めた。最初は心臓が飛び出しそうなほど緊張したが、相手が普通に会釈を返してくれたとき、私の世界に少しだけ光が差したように感じた。また、日記をつけることで、自分の感情がどのような場面で揺れ動くのかを可視化するようにした。後遺症との戦いは長期戦であり、3歩進んで2歩下がるような毎日だが、それでもかつての加害者たちに私の未来まで奪わせないために、私は一歩ずつ、震える足で歩き続けている。自分を愛することはまだ難しいけれど、少なくとも自分を責める時間を少しずつ減らしていきたい。過去に縛られた鎖を完全に断ち切ることはできなくても、その鎖を抱えたまま、少しでも遠くへ、少しでも明るい場所へと進んでいく。それが、あの日地獄のような教室で生き延びた私に対する、今の私にできる精一杯の誠実さなのだ。
過去の傷が対人恐怖を招いた私の克服体験記