広島や長崎の病院には、今もなお定期的に通院し、原爆後遺症という重荷を背負いながら懸命に生きる高齢者たちが大勢います。彼らが現在、最も頻繁に直面している身体的な不調は、放射線白内障や多発する二次的な癌です。放射線白内障は、眼の水晶体が放射線の影響で濁る疾患であり、被爆から数十年を経て発症することが知られています。通常の加齢による白内障とは濁り方のパターンが異なり、後嚢下混濁という特徴的な所見を呈することが多いですが、現在では白内障手術の普及により視力を回復できるケースが増えています。それでも、視界がぼやけていく過程で被爆当時の惨状を思い出すフラッシュバックに襲われる患者も多く、単なる外科的な処置だけでは解決しない精神的な痛みを伴います。さらに深刻なのは、癌の「多発」という現象です。被爆者は一生涯の間に、肺癌を治した数年後に胃癌が見つかり、さらにその後に皮膚癌を発症するといったように、複数の異なる癌に見舞われるリスクが高いことが分かっています。放射線によって全身の幹細胞に傷がついているため、一つの病変を取り除いても、別の場所で再び異常が起きやすいのです。現在、被爆者外来を担当する医師たちは、一箇所の癌だけを診るのではなく、全身をスクリーニングし続ける「生涯にわたる監視」の役割を担っています。被爆者たちが診察室で口にするのは、「あの日、死に損なったから、今こうして病気と戦わされている」というような自嘲気味な、しかし深い真実を含んだ言葉です。彼らにとって、毎日の薬の服用や繰り返される検査は、戦後を生き抜いてきたことへの一種の「代償」のように感じられています。一方で、こうした過酷な後遺症と向き合いながらも、自分たちの経験を医学的なデータとして提供し、後世のために役立てようとする被爆者の崇高な意志も、現在の医療を支える大きな力となっています。放影研などでの定期的な検診に協力し続けることは、彼らにとっての「静かなる平和活動」でもあります。現在、被爆者の多くが80代後半から90代となり、寝たきりになったり認知症を発症したりするケースも増えていますが、介護の現場では「被爆者としての配慮」が不可欠です。突然のサイレンの音や、特定の医療器具の音がトラウマを呼び覚ますこともあるからです。原爆後遺症と向き合う現在の被爆者たちの姿は、科学的な症例の羅列ではなく、人間の精神がいかにして不条理な苦難を耐え抜き、有限の命を全うしようとするかという、壮大な生命のドラマです。彼らが抱える身体の痛みは、私たち社会全体が共有すべき戦争の責任であり、その最期まで寄り添い、苦痛を和らげる努力を続けることが、平和への誓いを具体化する唯一の手段なのです。
原爆後遺症としての白内障や癌と向き合う現在の被爆者たち