私が45歳のときに経験したあの出来事は、まさに青天の霹靂でした。それまで健康診断で大きな異常を指摘されたこともなく、毎日仕事に邁進していた私が、職場のデスクで突然倒れ、そのまま痙攣重積状態に陥ったのです。救急車で運ばれ、集中治療室で意識が戻ったのは、倒れてから3日が経過した後のことでした。担当医からは、30分以上にわたって激しい痙攣が続いていたこと、そしてその影響で脳にかなりの負荷がかかったことを説明されました。当時の私は「命が助かったのだから大丈夫だろう」と楽観視していましたが、退院後の生活が始まると、自分の身体が以前の自分とは全くの別物になってしまったことを痛感させられました。最も顕著だったのは、記憶の連続性が断ち切られたことです。退院して自宅に戻っても、自分が使っていた道具の場所がわからず、数分前に家族と交わした会話の内容が頭から滑り落ちていく感覚に襲われました。仕事に戻っても、以前は当たり前にできていたパソコンの操作手順を思い出すことができず、モニターの文字を追おうとすると激しい頭痛と倦怠感に襲われました。これが大人が痙攣重積の後に直面する「記憶障害」と「注意障害」という過酷な後遺症でした。身体は元通りに動くように見えるため、同僚からは「少し疲れているだけだろう」と思われがちですが、私の脳の中では、複雑なタスクを処理するための回路が音を立てて崩れてしまったような感覚でした。特に辛かったのは、感情のコントロールが効かなくなったことです。些細なことで激しい怒りを感じたり、突然涙が止まらなくなったりと、かつての穏やかだった自分はどこかへ消えてしまいました。家族に対しても、申し訳なさと苛立ちが入り混じり、一時期は自宅にいることさえ苦痛でした。リハビリテーション科での訓練を通じて、少しずつ文字の読み書きや記憶の補助手段としてのメモの取り方を学びましたが、発症から2年が経過した今でも、以前の自分の100パーセントの状態には戻っていません。痙攣重積という嵐は過ぎ去りましたが、その後に残された爪痕は深く、私のキャリアや人生設計を根本から書き換えました。それでも、一歩ずつ今の自分にできることを見つけ、残された機能を最大限に使って生きる覚悟を決めました。あの日奪われたものは大きいけれど、その空白を新しい経験で埋めていくしか道はありません。大人が抱える痙攣重積の後遺症は、目に見えないからこそ孤独で、自分自身のアイデンティティとの戦いそのものであると感じています。
意識を失った数時間があの日の私から奪った記憶と能力