ある日の朝、目が覚めると右半身が鉛のように重く、言葉を発しようとしても呂律が回らないことに気づきました。病院に運び込まれ、告げられた診断名は脳梗塞でした。50代という働き盛りで突然突きつけられた現実を、私はすぐには受け入れることができませんでした。利き手が動かない、立ち上がることすらできないという絶望感の中で、リハビリ生活が始まりました。当初の目標は指先を1ミリでも動かすことでしたが、それさえも途方もない苦行に感じられ、リハビリ室の片隅で何度も涙を流しました。しかし、担当の理学療法士がかけてくれた、脳は諦めなければ必ず応えてくれますという言葉を頼りに、私は毎日必死に訓練に励みました。最初の数週間は全く変化が見られませんでしたが、1か月が経った頃、右手の親指がピクリと動いた瞬間の感動は今でも忘れられません。それは、私の脳が新しい道を探し始めた小さな産声のように聞こえました。入院中のリハビリは1日に3時間ほど行われましたが、それ以外の時間もベッドの上で麻痺した足をさすったり、頭の中で走る姿をイメージしたりしました。イメージトレーニングもまた、脳を刺激する重要なリハビリの1つだと教わったからです。退院してからも不自由さは残りましたが、自宅での自主練習と週に数回の通所リハビリを欠かしませんでした。世間で言われる6か月の壁という言葉に怯えたこともありましたが、実際には発症から1年を過ぎても、少しずつ階段を上れるようになったり、ぎこちないながらもペンを握れるようになったりと、確実な変化がありました。後遺症が治るという言葉の定義は人それぞれかもしれませんが、私にとっては昨日できなかったことが今日できるようになるその積み重ねこそが、治るという過程そのものでした。今では、完全に麻痺が消えたわけではありませんが、車の運転を再開し、職場復帰も果たしています。脳梗塞の後遺症と向き合う時間は、自分の体との対話の時間でもありました。動かない右手に感謝の言葉をかけながら、これからも一歩ずつ進んでいこうと思っています。失ったものを数えるのではなく、残された機能で何ができるかを考えるようになったとき、私の心の後遺症もまた、治り始めたのだと感じています。
絶望から這い上がった私の脳梗塞リハビリ日記