私は3年前にバイク事故に遭い、頭蓋骨骨折と脳挫傷という重傷を負いました。懸命な治療とリハビリのおかげで、身体の麻痺や言語障害はほとんど残らず、奇跡的な回復を遂げたと誰もが言ってくれました。しかし、退院から半年が過ぎ、ようやく職場復帰も見えてきたある日の朝、私は自宅のリビングで突然意識を失いました。気づいたときには救急隊員の方々に囲まれており、妻の青ざめた顔を見て、自分の身に何かが起きたことを悟りました。検査の結果、告げられた病名は、脳挫傷の後遺症によるてんかんでした。事故の傷跡が脳の一部に残り、そこが発火点となって異常な電気が流れてしまうという説明を受けました。あの日を境に、私の日常は一変しました。一番のショックは、運転免許の停止でした。仕事で車を使う機会が多かった私にとって、それは片翼を失ったような感覚であり、自分の無力さに打ちひしがれました。また、いつどこで発作が起きるかわからないという恐怖は、外出することさえ躊躇わせるほど強力な呪縛となりました。電車の中で倒れたらどうしよう、仕事の会議中に泡を吹いたらどう思われるだろう。そんな思考が頭を支配し、一時は深刻な抑うつ状態に陥りました。しかし、私を救ってくれたのは、同じ後遺症を持つ人たちが集まる自助グループでの出会いでした。そこには、発作を抱えながらも堂々と働き、家庭を築いている人たちがたくさんいました。薬を毎日決まった時間に飲むこと、自分の体調の波を客観的に観察すること、そして何よりてんかんを恥ずかしいことだと思わないこと。彼らから学んだ教訓は、私の心に新しい光を灯しました。現在は、自分に合った薬が見つかり、2年以上発作は起きていません。運転はまだ控えていますが、自転車や公共交通機関を駆使して新しい営業スタイルを確立しました。会社も私の病状を理解し、残業の制限や休息時間の確保を認めてくれています。後遺症としてのてんかんは、私の人生のスピードを少しだけ落とさせましたが、その分、道端に咲く花や家族の笑顔といった、以前の私が見落としていた大切なものを教えてくれました。失ったものを数えるのではなく、今ある機能をどう活かして生きていくか。この病気と共に歩む決意をしたことで、私は事故前よりもずっと自分自身に誠実になれた気がしています。
交通事故の後遺症でてんかんに悩む私の日常と変化