私の人生が急変したのは、45歳の秋のことでした。仕事中にパソコンの画面を見ていると、右側の文字がどうしても読みづらく、目が疲れているのだろうと軽く考えていました。しかし、数週間経っても症状は改善せず、車の運転中に出会い頭の車に気づくのが遅れるというヒヤリとする経験をし、重い腰を上げて眼科を受診しました。視力検査では1.2という良好な数値が出たものの、視野検査の結果を見た医師の顔色が変わり、すぐに大きな病院の脳神経外科へ行くよう勧められました。そこで受けたMRI検査で告げられたのは、鞍結節部髄膜腫という聞き慣れない病名でした。私の頭の中には、視神経の交差点である視交叉を真下から押し上げるようにして、3センチほどの腫瘍が居座っていたのです。失明の可能性もあると聞き、目の前が真っ暗になりましたが、主治医の丁寧な説明を受け、手術を受ける決意をしました。10時間に及ぶ手術の結果、腫瘍のほとんどを摘出することができましたが、意識が戻った私の視界は以前とは全く違うものでした。右目の視力は以前より低下し、視界の右半分は完全に欠落していました。これが私の抱えることになった目の後遺症です。術直後は、自分の手がどこにあるのかさえ正確に把握できず、コップの水をこぼしては涙を流す毎日でした。退院してからも、人混みを歩けば右側から来る人にぶつかり、スーパーの棚にある商品を見つけるのにも一苦労しました。しかし、リハビリテーションを通じて、私はこの不自由な身体との付き合い方を学んでいきました。欠けている視野を補うために、意識的に首を右に振る癖をつけ、情報の8割を占める視覚情報を脳が再構築できるよう訓練を続けました。1年が経過した今、視野が元に戻ったわけではありませんが、私の脳は新しい視界に慣れ、以前ほど生活に困難を感じることはなくなりました。複視に悩まされた時期もありましたが、自分に合うプリズム眼鏡と出会えたことで、読書も楽しめるようになりました。髄膜腫という病気は、私から当たり前の視界を奪いましたが、代わりに1日1日を丁寧に生きることの大切さを教えてくれました。後遺症と共に生きることは容易ではありませんが、残された左目の視力と、わずかに残る右目の視界を愛おしく感じながら、私は今日も前を向いて歩いています。