私の夫が、ある夜、リビングで突然崩れ落ちるように倒れ、激しい痙攣を始めたあの瞬間から、私たちの家族の形は一変しました。救急車の中で、病院の廊下で、私はただ夫の無事を祈るしかありませんでした。数時間の重積状態を経て、集中治療室での数日間の昏睡の後、夫の意識はようやく戻りました。医師から「命に別状はありません」と言われたとき、私はこの世のすべての神様に感謝しました。しかし、本当の試練は夫が退院して自宅に戻ってきてから始まりました。身体の麻痺も言語の障害もない、見た目は以前と全く変わらない夫。それなのに、中身は別人のようになっていたのです。私が話しかけても、返ってくるのは虚ろな視線だけであったり、以前は大好きだった趣味に全く興味を示さなくなったりしました。一番戸惑ったのは、夫が日常生活のルーティンを忘れてしまったことです。お風呂の入り方や、電子レンジの使い方に迷う姿を見て、私は胸を締め付けられる思いでした。医師はこれを「痙攣重積による高次脳機能障害」と呼びましたが、私にとっては「夫という魂の半分が、あの数時間の痙攣で削り取られてしまった」かのように感じられました。近所の人や親戚からは「元気になってよかったね」と言われますが、そのたびに私は、説明のつかない孤独感に襲われました。誰にも見えない障害を抱えた人を24時間支えることは、出口のないトンネルを歩くような感覚です。しかし、数ヶ月が経ち、夫が少しずつ「以前の面影」を見せ始めたとき、私の心境にも変化が訪れました。30分前のことは忘れてしまっても、今この瞬間の美味しいご飯には笑顔を見せてくれる。以前のような難しい議論はできなくても、手を繋いで散歩することはできる。私たちは「以前の夫」を取り戻そうとするのをやめ、「今の夫」と新しい関係を築くことに決めました。予定はすべてホワイトボードに書き、失敗しても笑い飛ばせるような明るい雰囲気を作るように努めました。痙攣重積の後遺症は、本人の自尊心も、支える家族の忍耐も、極限まで試してきます。でも、絶望の淵に立たされたからこそ、当たり前の日常がいかに奇跡の積み重ねであるかに気づくことができました。夫の脳の傷は完全には癒えないかもしれませんが、家族の愛という包帯で包みながら、私たちはこれからも共に歩んでいきます。大人の後遺症は、家族全員で背負い、分かち合うべき重荷であり、その過程で絆はより深く、強くなっていくのだと信じています。
夫が痙攣重積で倒れてから私たちが向き合った見えない障害