ある朝、目が覚めたときに右半身に力が入らず、ベッドから転げ落ちたのが私の脳卒中体験の始まりでした。52歳という働き盛りで突然突きつけられた脳梗塞という現実は、私の人生を根底から覆しました。病院のベッドで意識がはっきりしたとき、自分の右手が他人の物のように感じられ、言葉を発しようとしても、あ、う、という声しか出ないことに気づいたときの絶望感は言葉にできません。医師からは右片麻痺と失語症という診断を受け、長いリハビリ生活が始まりました。当初の目標は車椅子に乗ること、そしてスプーンで食事をすることでしたが、それさえも途方もない苦行のように感じられ、リハビリ室の片隅で何度も涙を流しました。入院から1ヶ月が経過した頃、私の主治医は、脳は諦めなければ必ず応えてくれます、と言ってくれました。その言葉を信じ、私は毎日3時間のリハビリに加え、病室でも麻痺した右手を左手でさすったり、動けと念じ続けたりしました。リハビリの専門家である理学療法士は、歩行のためのバランス訓練を根気よく指導してくれ、作業療法士は私の趣味だった囲碁を再び打てるようにと、細かい石を掴む練習をメニューに加えてくれました。言語聴覚士との時間は、失った言葉を1つずつ拾い集める作業でした。最初は単語さえ思い出せませんでしたが、絵カードを使った訓練を繰り返すうちに、少しずつ文を組み立てられるようになっていきました。発症から3ヶ月が経ち、回復期リハビリテーション病院へ転院したとき、私は初めて装具をつけて数歩だけ歩くことができました。自分の足が地面を捉える感覚を再び味わった瞬間の感動は、1生忘れることができません。そこからの3ヶ月は、まさに自分との戦いでした。麻痺した側の足が勝手に内側に曲がってしまう現象や、関節の痛みとの闘いもありましたが、昨日よりも1メートル遠くへ、という小さな目標を積み重ねることで、少しずつ自信を取り戻していきました。発症から半年を過ぎたとき、私は杖を使いながらも自分の足で退院の日を迎えることができました。後遺症が完全に治ったわけではありません。右手には依然として細かいしびれが残り、速く歩くことはできません。言葉も、疲れているときには詰まってしまうことがあります。それでも、私は再び家族と食卓を囲み、ゆっくりと会話を楽しむことができるようになりました。脳卒中の後遺症は、私の身体から多くの自由を奪いましたが、同時に1日1日を大切に生きることの意味を教えてくれました。リハビリは今も自宅で続けています。1度に100点を目指すのではなく、毎日1点を積み重ねる。その積み重ねが、不自由な身体と共に生きる新しい私の誇りとなっています。
脳卒中後の麻痺を乗り越えた私の記録